【レジ袋有料化】ごみ処理について思い出したこと

先程、レジ袋有料化について、一色正春「環境と関係ない」の記事

【レジ袋有料化】一色正春氏「環境問題と関係ない」
https://sn-jp.com/archives/3865

について、私も同調した意見を、Facebookに投稿しました。
そして、中学生の時の事を思い出しました
私は昭和37年(1962年)鹿児島市で産まれました。
私の伯父と父は、実家から500m位の所にある「ちり紙工場」に勤めていました
若い人には分からないと思いますが、「トイレットペーパー・ティッシュペーパー普及以前に使われていた紙」と言う理解でお願いします。
工場自体は、祖父が事業に失敗し、福岡県八女郡から鹿児島に移り住んだ時から、その場所にあったので、戦前から操業していたことになります。
工場では、古新聞を集める業者から、材料となる古新聞仕入れ、それを漂白剤となる薬品とともに、プールのような所で洗濯機のように、グルグルかき回して、ちり紙になる成分を取り出し、漂白剤と漂白されなかった液体(無害)を、工場の横にある川に流していました。
漂白されない固形物は、数ヶ月に1度漂白プールの水を抜いて、パワーシャベルでトラックに移し替えて、処理業者に頼んで廃棄していました

しかし、私が中学生になる頃、光化学スモッグなどの被害を訴える運動が、全国に広がりだしました。
そして、社会科の授業の時に教師が、「隣の工場のような所が公害を出している」と決めつけ発言をしました。
私は子供の時から、父の勤める工場が遊び場であり、工場の従業員さん達にも遊んでもらったり、手伝える仕事は手伝わせてもらっていたので、内情を知っていました
だけれども、内情を知らない同級生達「工場は悪い」と言う認識になりました
まぁ、毎日「光化学スモッグ」だの「公害」などのニュースで溢れていたので、そう思うのも否定できません
だけどこれだけは言わせてもらいたい。
「その時の対策に沿って適切に工場を操業していることを、調べもせずに否定するな。」
否定するなら、「定められた処理方法」と「工場がそれに沿っているか、いないか」を、データーを出して欲しい。

その後鹿児島市「工場団地を作ったから移転するように」と言われて移転したが、ちり紙の時代が終わりになってきていて、結局父達の務めていた工場は潰れた
工場が潰れたことには、何の異論も遺恨もない。
ただ、中学時代の社会科教師の工場批判だけは、未だに思い出す。